Peter Rogers研究室にて、サマー・リサーチ・アシスタントをしている学部生とその友人たちとで、バスケット・ボールをした。
最後にバスケット・ボールを触ったのはいつだろう?
中学・高校とバスケ部の端くれだったが、大学入学以来、全くと言っていいほど、触っていない。というか、球技全般から遠ざかっていた。
思い返せば、大学院博士課程に進学して以来、ほとんどスポーツをしなく(できなく)なってしまった。
それ以前は、ウインドサーフィンやスノーボード、マウンテンバイクなど、むしろ体を動かすことが中心の生活であったが、一転、大学と家、研究対象地、出張先の往復ばかりの生活へ突入した。
そんな中での、十数年ぶりのバスケット・ボール。しかも周囲は全て、ハタチ前後の学部生。自分でも、やや無理があるとも思ったが、本場アメリカでのバスケの機会(大げさ)、参加しない理由なぞ存在しない!
最初は、リサーチ・アシスタントのアントニオとジャネット、その友人の4人で、2 on 2でプレー。
その後、見知らぬ韓国人カップルが、「ハイ、ガーイズ!俺らも入れてくれよ!」といきなりの飛び入り参加表明。そして、「オーライ!メーン!」とみんなで歓迎ハイタッチをして、いきなり3 on 3ゲームの開始。そこから30-40分間、ひたすらプレーして、最後は「ナイス・プレイ!」と全員でお互いに固い握手を交わし、最後は再会を誓いグッド・ナイト!でお別れ、という何ともフレキシブル(アメリカン?)な雰囲気。
実際のプレーは、高校生の頃と同じように動けたような気がする(注・自己判断に基づきます)。
自分の想像以上に、体は当時の感覚を覚えているもの。十数年ぶりのバスケット・ボールは本当に楽しかった。気がついたら学部生たちと一緒に、ずっと動き回っていた。Tシャツが汗一杯で重くなったのはいつ以来だろう(そういえば、去年の目黒研の合宿でも汗だくになったなぁ)?まだまだ、若造には負けないぞ(笑)。
バスケット・ボールなどのダイナミックなチーム・スポーツは、全身の感覚と頭をフル活用して、全体の流れを把握した上で、その場その場で、次の動きを瞬時に予想し、即座にアクションを起こすことが求められる。やはり、ハードな状況下で、このような経験を積んでいくことは、人間の感性というか、動物的な直感力を研ぎ澄ますことに、大きく寄与するに違いない。
久しぶりのプレーの印象として、自分一人で行うプレー(つまりシュート)は、ほぼ昔と同じ感じでできたが、速攻中のクイック・パスなど、瞬時に周囲の動きを予測する必要のあるプレーは、周囲とのタイミングが上手く図れずに、失敗することが多かった。
やはりこの数年、大学という、どちらかというと静的な判断を求められる環境に身を置く時間が長かったので、動的判断力が鈍っていたのかもしれない(まあ、大学ではそんなもの要らないかぁ)。
大学の時はウインドサーフィン、修士の時はスノーボード、マウンテン・バイクにはまった。
何れも大自然の中を、ただひたすらに猛スピードで突っ走る。その快感は、言葉にできないくらい爽快で、大きな悦に浸れるのだが、同時に、予測不可能な自然が相手なゆえに、いきなり転倒して、海や山に放り投げ出されるリスクを常に背負う。
目まぐるしく変化する状況の中では、一瞬一瞬、次のアクションを予想する必要がある。むしろ、考えるというよりも、直感にもとづく瞬時の判断に応じて、無意識的に迫りくる状況に対応し続けなければならない。
きっと数年前までは、そのような感覚がそれなりに培われていたのであろうが、近年、何というか、頭でっかちになりつつあるのかもしれない(アカデミックで生きる場合、むしろ、そちらの方が正しい生き方なのかもしれない…)。
昔は何も考えずに、いろいろなスポーツを、ボーっと楽しんでいた。しかし、上述のようなことを認識しながら、より真剣にスポーツと向き合い、かつ、そのフィードバックを人生に活かすことを意識していれば、スポーツ・プレーヤーとしてももっと成熟できたであろうし、そこから取得できた知識や感覚もより大きなものであったのだろう、と今更ながら考えてみた(いやいや、まだまだこれから(笑))。
というか、久し振りのバスケットはとても感慨深かったので、大げさであるが、人生などと照らし合わせて、いろいろ思いにふけってしまった(笑)。
早速、来週のバスケも約束した。週末はチャールズ・リバーでカヤックだ。
これまで数年間で蓄積されていた(スポーツに対する)うっ憤を晴らすべく、そして、鈍っているであろう全身の感性を取り戻すべく、街が雪で覆われるまでの間は、屋外で大いに体を動かそう。
≪写真 GISセンターの裏のバスケットコートにてアップ中の学生たち≫
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