2008年6月14日土曜日

祝!北京五輪出場

最近(最初から?)、もはや普通の日記と化している本ブログ。そろそろGISや、大学の教育・研究に関する内容を書こうと思っていた矢先に、とても嬉しいニュースを知り、それについて一言、書かずにいられになくなった。

さて、一体どれくらいの人が、オリンピックに、ウインドサーフィンの種目があるのを知っているだろうか?
なんと、自分が大学時代に同じ浜で練習をしていた、小菅さんが北京五輪のRSX級に出場することになった!
Asahi.comの記事

当時の鎌倉・坂の下には、自分が所属していた中堅・横国大や、彼女が所属していた強豪・関東学院など、6つの大学の艇庫があった。自分は大学1年~3年まで、毎年100日程度、ウインドサーフィンをしていたので、鎌倉沖や全国で開催された各種大会の海上で、一緒になることも多々あった。

ここに書くまでもなく、彼女は当時からダントツ速かった(同年齢だが、学年は彼女が一つ上)。
特に印象的なのが、全国大学対抗団体戦。各大学の代表(5人登録⇒3人出場)が、強風で知られる愛知県蒲郡市の海上で、一斉にスタートして、蒲郡沖のレースコースを周回し、その合計順位を競うというレースである。蒲郡は、風が吹かないときは超微風なのであるが、低気圧の配置がビシッと決まると、ものすごい強風が吹き、風速15m/sを超えることもある。

(当時の)大学連盟が規定していたウインドサーフィンのセイルの面積は、6.6㎡もしくは7.4㎡。
この畳3.5~4枚分の面積に相当する巨大なセイルを載せた、3.7mの長さのボードを操って、風速15m/sのなか、うねりの大きな沖のレースコースを周回するのは極めて難しい。各大学の代表約100名が蒲郡のレースに参加するのだが、このような超強風に見舞われると、ゴールできるのが僅か数十名というレースも少なくない。
≪写真・風速4~5m/s程度≫

2年生の時か、3年生の時か忘れたが、自分が出場したレースでも超強風に見舞われ、多くの参加者が突風に耐え切れず撃沈して、浜の方へどんどん流されていった。自分は風が得意な方であったが、やはり蒲郡の爆弾のような突風とうねりには耐え切れず、レース中何度も撃沈していた。何回目かの撃沈の際、ボードから海上へ放り投げ出され、嵐でうねった海面を、死にそうになりながら泳いでボードへ戻っているときに、小菅さんを乗せたボードとセイルが、超高速で自分の脇を通り過ぎて行った姿は、特に印象的だった(この時点で、彼女は一周先行。。)。もちろん、彼女も歯を食いしばりながら、必死でボードとセイルを制御していたと思うが、彼女より数倍も大きな体を持った男たちが、バタバタと海面に沈んでいく中、小さな体で巨大なセイルとボードを操り、超強風の荒れた海面を猛スピードで爽快に駆け抜けていく彼女の姿は、本当に惚れ惚れするものだった。

"JPN"の文字が入った彼女のセイルが、(五輪会場である)青島沖の海上を疾走する姿がとても楽しみだ。


↓実話に基づくウインドサーファー映画

2008年6月5日木曜日

卒業式その4 ゲスト・スピーチ

6月5日、卒業式最終日の午後。
今年の卒業式ゲスト・スピーチは、ハリー・ポッターの作者J.K. Rowling。

特に、ハリー・ポッターのファンではない自分は、昨年のゲスト(ビル・ゲイツ、ビル・クリントン)の方が良かったなぁと考え、正直言って彼女のスピーチにはそれほど期待していなかった。

しかし、彼女のスピーチはとてもパワフルで、さまざまな示唆に富む内容であり、一万人近い(もしくはそれ以上?)※1聴衆をずっと惹き付けるものであった。基本的に、彼女のスピーチ・スキルはとても高く、のっけから聴衆をドッカンドッカン笑わせる一方で、スピーチの核心部分では聴衆の全関心を一身に集めているようであった。会場を爆笑の渦に巻き込んだ数々の彼女のジョークは理解不能であったが、1時間近くに及んだ彼女のスピーチを大胆に要約してみた※2

「失敗は大事。」
 彼女自身、若い時、作家になるのを両親に反対されたり、仕事が上手くいかなかったり、無職になったり、離婚をしたりと沢山の失敗を経験した。何をすべきか分からず、何をしても上手くいかない状態が続き、生活苦とうつ病に苦しみながら子育てをしていた時期もあったという。
 しかし、ある時、(それでも)自分は生きているし、目の前にタイプライターがある。そして、自分の頭には無限のイマジネーションがあるじゃないか!ということに気づいて、「自分が求める道を突き進むしかない」と創作活動に邁進していったという。
 (これまでにほとんど失敗のないであろう!?)ハーバード大生に対して、「失敗を恐れるな!自分は、失敗を繰り返すことで、自分の中の大切なものを再認識することができたんだ」というメッセージを伝えているようであった。

「イマジネーションを駆使せよ」
 人間は、自分が実際に体験していないことでも、想像することができる唯一の生物である。
すなわち、自分がそのような立場になくても、貧困や病気、戦争などで実際に苦しむ人たちの姿を想像し、その一人一人がどのような気持ちなのかを想像する能力を持っている。これまでの歴史や現在の世界情勢についての知識・教養と優れた才能を兼ね備えたあなたたち(ハーバード生)は、世界中の惨事の渦中にいる人たちの状況・気持ちを想像することが出来るはずです。一人一人の人間の気持ちを想像し、そして、適切な行動を起こしてください、という内容であった。


アムネスティ・インターナショナル(国際的に人権救援活動を行うNGO)でも働いていたという、彼女自身のこれまでの経験と、作家としてのイマジネーション(この場合は想像力か)力を駆使することの重要性に絡めた、彼女からのハーバード大卒業生への贈る言葉はとても力強く、説得力のあるものであった。


スピーチの〆は、「Have a good life!」。
映画やTVでも時折耳にするフレーズであるが、卒業式などの人を送り出すスピーチでは、この言葉、最後がピリッと締まる感じでとても良い。今度どこかで使ってみよう。

後日修正---------------------
 *1 公式発表2万人
 *2 公式発表21分 
人の感覚って、ホントいい加減。。。(自分だから?)
ちなみに彼女は、名誉文学博士号をハーバードから授与されたとのこと。
Gazette online
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↓6年前、家庭教師をしていた子供にせがまれて、
休日、本牧の映画館まで連れて行ってあげたっけ。
※1

卒業式その3 メインイベント

今日は待ちに待った卒業式の最終日、つまりメイン・イベントである。。
客員研究者(Visiting scholar)である自分にとって、卒業式は全く関係ないのであるが、米国の卒業式、そしてそのメイン・イベントがどのようなものかここ数日、ずっと気になっており、それに参加するのを心待ちにしていた。


ところが、、、、

今日の卒業式イベントには、「入場券」がないと入れない!
自分は数日前に初めてその存在を知ったのだが、入場券の配布枚数には限りがあり、卒業生の家族ですら入場券を入手するのは容易ではないという。実際、数日前には「お金を払うから、入場券を譲ってくれ!」という張り紙が学内に張られていたほどである。当然自分は、そんな券など入手しているはずもない。

でも、何だか悔しいので(!?)、「まあ、どこかから忍びこめるでしょう!」と気軽に考え、当日の朝、会場であるハーバード・ヤードへ向かって行った。

しかし、ハーバード・ヤードに入るための全ゲートには、スタッフおよび警察官が立っており、入場券を厳しくチェックしていた≪写真・最上段≫。そして、その奥には、「Bag check」と書かれた立て看板、机とスタッフが配置され、中にはボディチェックまでされている人もおり、さながら空港のセキュリティ・チェック並みの厳重警備であった。

さすがにこの状況下、中央突破もしくは忍び込むガッツなどなく(警察に捕まりかねない!)、諦めてハーバード・ヤードの外側を周回し、ゲートや柵の隙間などからところどころ中を覗いたが、複数の建物で取り囲まれたヤード内のメイン会場での様子を直接目にすることはほとんどなかった。ただし、賑やかな音楽や歓声などから、盛り上がっている会場の雰囲気はヤードの外にいても伝わってきた。


暫くの間、ヤードを周回していたが、一向に入れる気配がないのと、やや虚しくなってきたので、諦めて自分の本拠地Piece Hallに戻り、そこに設置されているパブリック・ビューイングで、卒業式のライブ映像を見ることにした(≪写真・上から2番目・3番目≫は、ライブ映像を写真で撮ったもの)。
もちろん、数十台のカメラを駆使して撮影されているライブ映像の方が、会場全体の雰囲気から儀式の詳細までを見るには断然優れているのだが、自分としては会場に身を置くことで、その盛り上がり・感動を体感したかっただけに、少し残念。。。

しかし仕方がなく、Piece Hallの教室でライブ映像を見ていると、日本人びいきのポーランド人教員・レナータが自分を見つけて近寄ってきてくれて、「今年は自分の研究室の卒業生はいないから、これあげるよ!」と言って、親切に午前・午後の卒業式イベントの入場券を譲ってくれた。超ラッキー!


そして、午後。
この日は天候が悪かったため、主催者の方で午後の入場者は少ないと判断したためか、午後の入場規制は行われなかった。それでも、主に学長とゲスト・スピーカーによる講演が中心である午後のイベントには、会場内には溢れんばかりの人が集結していた。昨年のゲスト・スピーカーは、ビル・ゲイツとビル・クリントンであったらしいが、今年はハリー・ポーッターの作者J.K. Rowling氏であった(⇒ゲスト・」スピーチの様子は“その4”に記載

最後に、ハーバード大学の校歌斉唱などがあって、夕方の16時ころ、午後の卒業式イベントは終了。
これで終わりかと思いきや、、、、

その後、メイン会場ではジャズ・コンサートが行われたり、その他の場所ではいろんな年代の同窓会イベントが開かれたりと、夕方から夜にかけて、キャンパスの様々な場所で沢山のイベントが繰り広げられていた。まさに「学園祭の雰囲気」そのものであった

学生達は、様々な形態・色のガウンを着ているし(恐らく、所得学位によって異なる)、参加者の中にはシルク・ハットや蝶ネクタイをしているジャントルマンズやハリー・ポッターの世界の中から出てきたような魔法使いや長老(?)みたいな恰好をしている人もあちらこちらにいらっしゃった≪写真・下から3番目≫

そして何より、キャンパスのいろいろなところで、豪華なフリー・フードを食べられるのが嬉しい!
もちろん、本来は無料ではなく(!?)、卒業生やその家族、同窓生のために用意されたものであるが、気前のいいハーバード大学は、ある程度正規の人へ配ったことを確認すると、残りものを僕らのような一般庶民にも分け与えてくれる(笑)。残りものとは言っても、正規の人に配ったものと全く同じものであり、しかもその量も半端ではなく、ビール、ワイン、シャンパンなども飲み放題に近いところもあった。お陰様で、これまでの人生で一番美味しく、大きいロブスターを頂くこともできた。自分の中では完全に、「ハーバードの卒業式=でかいロブスター」とインプットされてしまった(笑)。


この3日間続いていた卒業式イベントも今日で終了。
明日からは、通常のキャンパスに戻ってしまうのが、少しさみしい。

まとめとして(?)、ハーバード大の卒業式は、現役の卒業生ばかりでなく、
往年の同窓生も集結する場であり、大学もとても重要なイベントとして捉えている。
加えて、卒業とは全く関係のない人までも楽しめる懐の広さも持ち合わせており、
まさに学園祭のような3日間であった。

2008年6月4日水曜日

卒業式その2 雨でもやります、屋外で。

卒業式2日目。

晴天だった1日目とはうって変わって、今日はあいにく朝から一日中雨が降っている。
しかも、コートやジャケットが必要なくらいとても寒かった。


そして、卒業式の会場では、、、、


さすがにこの雨と寒さのためか、会場には空席が目立ったが、みんな傘をさしたり、雨合羽を着用して、テラスに用意されたイスに座って、会の進行を見守っていた。キャンパスのオープンスペースを利用した卒業式はとても魅力的だが、やはり天候だけは操作できない。


自分も寒かったので、今日は1時間覗いた程度だったが、その間、何人かの生徒やOB/OGらしき方々によるスピーチが行われていた。今日のイベントは、学生主導のイベントなのか、学生たちが小芝居や小ギャグ(アメリカン・ジョーク?)を交えながら、やや拙い司会進行をしていた。やや危なかしい感じではあったが、活力の溢れた若い学生主導の卒業イベントは、どこか懐かしい感じで(学生当時を思い出す!?)見ていて微笑ましい。


さて、スピーチの中では、「とうとうこの日がやってきました。明朝、我々(の卒業イベント?)はクライマックスを迎えます」ということを言っている人が数人いた。

やはり明日、特に午前中が卒業式のメイン・イベントなのは間違いない。
自分も、部外者なりに気合を入れて臨まねば。



↓巷では「オシャレな日本製の傘」として、
ビニ傘が密かに流行っているらしい(現役学生談)。
透明で視界がクリアなのが、Cool!とのこと。
訪米の際のお土産に如何でしょうか。

2008年6月3日火曜日

卒業式その1 突然の遭遇

午後、別の建物の図書館へ向かっている最中、メモリアル・チャーチの鐘がキャンパス内に鳴り響いていた。

とりあえず、ざわめいているハーバード・ヤードへ向かうと、メモリアル・チャーチの付近に沢山の人だかりがあった。「なんだろう?」と思い、野次馬的にそちらへ向かっていくと、真黒のガウン(ドレス)と角帽(?)をまとった卒業生らしき人たちが、メモリアル・チャーチから続々と出てきた。

「えっ?卒業式って5日では?」と思い、周囲の人に聞いてみると、「今日は、ハーバード・カレッジ(学部生)の卒業式」とのこと。どうやら、5日はハーバード全体の卒業式(?)であり、その前に学部、スクールごとの儀式を行うみたいだ(推測)。

メモリアル・チャーチから出てきた学生たちは、ぞろぞろと行進をして、Widener図書館前のスロープへ向かっていった。そして、大学の旗が取り付けられた図書館の前で、総勢約1,500名の記念撮影。
とても一人一人の顔が映るとは思えないが、卒業生全員での写真撮影はとても迫力がある。


で、その写真撮影の最中、図書館の前の卒業生も、それを後方の芝生から見守っている家族たちも、やたらと携帯電話を片手に騒いでいる。

「こんなときに何を電話してんだ?」って思っていたら、「〇〇~、お前の写真を撮りたいんだが、どこにいるんだ?場所を教えろ~!」、「△△~、お父さんとお母さんは右側の大きな木の下にいるぞ~。お前も、こっちに手を振りなさい~!」と、後方で見守っている家族たちは大興奮であった。



多様な人種、民族、国籍で構成された卒業生の顔は、みんな自信と将来への希望に満ち溢れているように見えた。きっと多くの人たちは、これから世界の至るところで、さまざまな形でリーダシップを取るような立場になるのだろう。それは、類まれな才能を持ち、恵まれた環境で特権的な教育を受けたものの責務であろうし、きっと多くの人たちは自発的にそのような道へ進むのであろう。

是非とも、その磨かれた才能と、大学で培った知力、リーダーシップ、ネットワークを活かして、特定の個人・組織・国の利益の追求に走るのではなく、世界のさまざまな問題の解決に、幾分でもその力を注いで頂きたいものです
(すみません、学長の訓辞みたいに偉そうで。すみません、人任せな感じで。というか、言うだけなら誰でも出来ますしね)

2008年6月2日月曜日

卒業式シーズン到来

この1~2週間、6月5日の卒業式(357th Harvard Commencement)に向けて、キャンパスのあらゆるところで会場設営が行われている。

厳密には、数か月前からキャンパスの芝生整備や施設改修が頻繁に行われていた。
Peter曰く、「卒業式は、大学にとってとても大事な日なんだ。なぜならその日は、(これまでの)卒業生たちが一堂にキャンパスに集結して、年代ごとの同窓会も行われるからね。そして、そこで多くの卒業生は、大学に対してチェックを切っていく。セレモニーの良し悪しで額が変動するから、大学は必死になって、キャンパス整備に勤しんでいるんだよ。」
チェック=寄付金である。

今、キャンパスはとても賑やかだ。

キャンパス内の建物や街路樹には、大学やスクールごとの旗が取り付けられ、学内のオープンスペースには巨大なテントや机、イスなどが続々と設置されている。さながら、日本の大学の学園祭みたいな雰囲気だ(ところで、米国の大学に学園祭はあるのか?)。


個人的には、キャンパスのこの雰囲気はとても好きだ。
卒業式に向けて、キャンパスが別の空間へ形を変えるにつれて、学生たちの気持ちもどんどん高まっていくような気がする。自分は卒業式は全く関係ないが、日に日に卒業式が楽しみになってきている。「この普段とは異なるキャンパスで、どんなイベントが繰り広げられるのだろう?」と。


ところで自分は、学部・修士課程・博士課程と、これまでに一度も、大学の入学式・卒業式に出たことはない。
ある区切りごとに、儀式を行うことはとても大事だけど、大学の入学式・卒業式は、あまりに形式化し過ぎている気がして全く出る気がしなかった。実際に出席していないので何とも言えないが、友人の話を聞くと、少なくとも自分の出身校では自分が考えていたイメージ(=儀式儀式)に近かったみたいだし、出席しなかったことの後悔は全然ない。(もちろん、学科ごとの学位授与式や謝恩会は重要な儀式であると捉えて、きちんと出席しましたよ!)


なので(?)、米国の大学の卒業式にはとても関心がある。
とりあえず、現時点では、「自分が数年間を過ごした、想い入れの深いキャンパスの施設やオープンスペースを利用して、手作り的な雰囲気の卒業式を行うのはとても良さそうだ!」と個人的に感じた。



しかし、今日、Peterと話していたら、「最近の卒業式は、あまりに盛大で、お金をかけ過ぎていてバカている!(場所[恐らく裕福なスクール]によっては)空調が入ったテントまで用意して、ホテルばりのサービスを用意するところもある。
「学内に沢山のテントがあるが、一つでいくらかかるか想像つくか?〇〇が数百万、△△の会場設営は数千万(恐らく、食事やサービス込み)、総額で□□もかけているんだよ。
俺の時代は、テント一つなかったぞ!(約40年前)」

Peter, かなりご立腹の様子。
従って、上述の“手作り的”というのは完全に消えました。


いろんなものをひっくるめて、5日の卒業式が楽しみだ。
それにしても、"第357回"って。。。。


↓米国・卒業式の定番ソングを知りたい。