10月、弟の結婚式や北京でのシンポジウムなどがある関係で、一旦帰国の予定。
その際、良いタイミングでGIS学会(第17回地理情報システム学会学術研究発表大会)が駒場東大にて開催されるので、併せてそちらにも参加する。原稿の締め切りは来週月曜日であるが、海外からの発送のため、昨日郵送した。
この2年間は、日本の学会であろうと論文集であろうと、原稿は敢えて全て英語で書いている。
2006年4月、「これから全ての発表講演原稿、査読論文を英語で書く!」と自分の中で密かに宣言した。もちろん、内容、状況に応じては日本語で書くことになるが、それ以外は国内の学会であろうと、何であろうと英語で書くことを決意。
このときは、横国大でのフェロー4年目、客員助教授という身分を頂いた年でもあったのが、自分の中では、この年でこの仕事を終えて、次年度から絶対に海外へ行くのだっ!!と決めていた。
とは言っても、その時点は何の当てもなかったのだが、そろそろ覚悟を決めて本気で勝負しないと、このままズルズルと永遠に先送りすることになるだろう、という予感があった。実際、大学院生のころから、「海外で働きたい!」と思っていたが、結局、大学院修了後は、そのままCOEプログラムに参画することになり、その後も毎年、日々の忙しさを言い訳にして、海外の研究機関を探したり、応募の書類を用意するさえほとんどなく、瞬く間に3年間が過ぎてしまっていた。
その状況から脱却すべく、前述の自己宣言と同時に、いくつの行動を実行することを決めた。その一つが、「これから、発表原稿・論文をできる限り英語で書く」であった(その後、どうしても日本語で書くべき内容だったので、2本の査読論文は日本語で書きましたが)。
こう書いていると、何だかスマートでかっこよさそうに聞こえるかもしれないが(?)、実際は、日本語で書くことの数倍(3~5倍?)の時間をかけて原稿を用意している割には、本当にひどい出来の原稿しかできずに幻滅したり、査読論文に至っては、言いたいことを上手く表現できずに、日本語で書いていた時に比べて、10倍近く苦労している気がする(それにも関わらず、ここのところ立て続けに不採択。。あぁ。。)。
今は米国にいるので、英語で書くのは当たり前の環境であるが、今回のGIS学会のように対象が日本人の学会であろうと、初心忘れずに(?)、ひたすら英語で書き続ける。
なんか、精神論ゴリ押しであるが(笑)、とにかく書いて、書いて、書きまくるしかない。今の状態で、闇雲に書き続ければ、それに比例して英語ライティング力が向上するとは思えないが、ある量に達すれば、質的な変化を引き起こすことを信じて、ただ前進あるのみ。それが何時なのかは分からないけど、その時が早くやってきますよーーに。
(これを書きながら、「それだったらブログも英語で書くべきだろう!」と考えたが、続かないのが目に見えている。あ~~、ぬるいな、自分(笑))
※ 研究分野によっては、全ての論文を英語で書くのは当たり前みたいだ。しかし、いわゆる“サイエンス”ではなく、ある特定地域の問題解決を目指した実践的研究を行う、建築・計画系の学生・研究者は、英語で論文を書く機会はとても少ない。世界中で通用する普遍的な事象を扱うサイエンスとは違って、特に日本国内で、その時代背景や社会要請に応じた極めてローカルな事象を研究している場合、それを海外へ向けて発表するような場(雑誌・国際会議)は限られているし、そもそも英語で発表する意義は少なく、むしろ日本語の方が適している。
自分は、できるだけ多くの人に自分たちがやっていることを知ってもらいたいから、そして、自分の英語力を改善したいから、ひたすら英語で書いてるだけ。サイエンスと地域実践型研究、英語論文と日本語論文、その両方とも大事で、同等の意義を持っているということは言うまでもない。
≪写真・上 大学の門の装飾(何て言うのだろう?)≫
≪写真・下 大学のアパートメント(多分、研究者や院生向け)≫
↓ パックンの『ハーバード流英訳術』。
“中吊り”の英訳って、かなりレベル高いよね。