2008年4月28日月曜日

ミレニアム生態系評価 (MA)

昨年、「ミレニアム生態系評価(MA)」(原書:「Ecosystems And Human Well-Being: Synthesis (The Millennium Ecosystem Assessment Series)」(World Resource Institute編,2005年6月発行))の翻訳に携わる機会があった。
MA 公式Webサイト

MAは、アナン国連事務総長(当時)の呼びかけによって開始され、世界中の1,500人の専門家によって、5年がかりで行われたアセスメントの結果を集約したものである。MAは、生態系の変化が人類の福利に与える影響を評価するとともに、生態系の保全と持続的な利用など、人類にとって必要な行動のための科学的な基礎情報を提供する。さらに、20世紀に人間活動が生態系に及ぼした影響と21世紀における“人類の福利”と“生態系サービス”の関係性の枠組みを示しており、これからの環境問題を考える上で重要な概念と枠組みの一つである

平たく言うと、「これまでの人間活動が生態環境に与えた影響はどの程度なのか?そして、これからの人間社会と生態系との関係はどのような方向へ向かうのか?」を、科学的なデータや知見、実際の事例をもとに分析・評価して、これからの意思決定などに使用できるよう分かりやすく整理したレポートである。

オリジナルのレポートは、全4冊・合計2,600ページにも及ぶ壮大なものであるが、その成果を意思決定者向けに要約したものがSynthesisである。
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 Current State and Trends, 948ページ
 Scenarios, 596ページ
 Policy Responses, 654ページ
 Multiscale Assessments, 412ページ
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手前味噌であるが、自分はこの書籍を重宝している。
もちろん翻訳作業中は何度も読んだが、ボストンに来てからも読み返したし、これからも読み直そうと思っている。
この本を読んだおかげで、先日の国連大の大会議やハーバードでの環境についての研究会やセミナーなど、環境に関する広範かつ深い話題にもだいぶ付いていけるようになった(もちろん、まだまだ深い部分は勉強不足で分からないところだらけだけど。。)。


MAは、複雑で難しい地球環境問題を、包括的かつ総合的に捉えるための枠組み提供ツール」と個人的に考えている。もちろん、MA・Synthesisを一冊読むだけで、地球環境問題の全貌を捉えることは不可能であるが、環境問題を考える上での大きな基本枠組みを獲得できるのではないか?

この大枠を得た上で、個別問題についての詳細なデータや情報を入手していき、その領域の理解を深めていく。それによって、その領域が他とどのような関わりがあるのか、全体の中ではどこに位置づけられるのか?その全体と構造を理解することにMAは役立つと思っている。


自分はMAを読んだことで、(それ以前に比べて)環境問題を捉える上での収納箱を持つことができた感じだ。その中身はまだまだスカスカであるが、大きな収納箱を持つことで、随時入手するさまざまな情報を、適したところへ格納可能になった。良い情報を入手しても、それを適切に保存する仕組み(箱?)を持っていないと、その情報を生かすことは難しいかもしれない。しかも、適切に構造化された収納箱を持っていると、その中身が埋まるにつれて、その知識と知識の関連付けが容易になっていく(気がする)。


MAは、こらから地球環境問題を勉強したい!という人には、お勧めの入門書と言えます。

2008年4月24日木曜日

カナダ・ハミルトン

国連大学は世界13ヶ所に研究所を持つ(東京は本部)。

その一つ、国連大学プログラム「水・環境・保健に関する国際ネットワーク」(UNU/INWEH: International Network on Water, Environment and Health)の会議に出席すべく、カナダのオンタリオ州ハミルトンに来ている。
ハミルトンは、五大湖の一つであるオンタリオ湖のほとりに位置する街であり、トロントとナイアガラ滝の中間地点である。

今回の出張の目的は、「国連大・合同メコン川研究計画会議」。
東京とカナダ、ドイツ、マレーシア、韓国の国連大研究所およびその関連機関が、合同でメコン川研究を企画するためのワークショップを3日間にわたって実施した。
それぞれの研究所で専門とする研究領域が異なるため(水文、水質、農薬管理、塩害、公衆衛生、GIS!?)、どのようにお互いの強みを生かした連携を図るのか、といったことを議論した。各国の研究所が一つの目標に向かって共同で研究計画を策定するのは初の試みであったため、今回のワークショップの成果である研究計画自身はやや漠然としたものであったが、世界に散らばる5つの機関が一堂に会して、合同で研究計画を策定するというそのプロセスの意義が大きかったと思われる。

自分は、やはりGISを中心とした情報プラットフォームの構築、およびArc Hydro modelによるwater flowデータベースの構築、水文シミュレーションとの連携に関する提案を行い、全体の研究計画に組み込んでもらった。



「国連大・ディレクターズ会議」
ちょうどメコン川研究計画会議が終わった次の日から、この会議がUNU/INWEHで開催されるということで、オブザーバーとして会議に参加させてもらった。この会議は、毎年持ち回りで各国の研究所で開催されているみたいだが、今年はここカナダでの開催。

この会議は、学長をはじめ、各国の国連大・研究所の所長や研究プログラムの代表者が集まって、今後の国連大の運営方針や研究の方向性について話し合うという、いわゆるハイレベル会合。
会議では、大学のパンフレットに書いている様なビジョンやミッションの文面についての細かな議論から、研究所内のプロジェクト・マネジメント、今後の連携先や予算といった大学全体のダイレクションに関する重大なことまで、2日間にわたり約30名で議論を行っていた。研究所が世界中に点在し、多様な人種がその運営に関わる国連大の運営方針をまとめるのは容易ではない。
感想としては、「学長や研究所長などのお偉方の業務って、ホント大変そう。。。。」


5日間の滞在を通して、各国のいろいろな方々に会うとともに、国際的組織の運営の在り方についてその一端を垣間見ることができた。

研究以外の面で学んだことは(?)、「国際社会は、完全割り勘制」。身分も年齢も性別も関係なく、食べた分・飲んだ分だけ自分で払う。
アジア方面の方々と食事をするときは、奢ったり奢られたりが基本であり、東京の国連大スタッフの方々と食事をする時も大体そうすることが多いが、各国の多様な文化を持つ人々が一堂に会するときは、完全割り勘が基本なのかもしれない。

2008年4月17日木曜日

春 & ボストンの緯度・経度

大学の周辺もようやく暖かくなってきた。

朝晩はまだ寒くて(5℃くらい)、たまにマフラーや手袋をすることもあるが、昼は15℃位まで気温が上がることもある。
街やキャンパス内の木々や草花も、少しずつ緑がかってきて、春の一歩手前といった感じだ。



ハーバード大学は、北緯42.38, 西経71.12に位置する。

日本だと、北海道室蘭市と同程度の緯度になる(函館より北、札幌より南)。





ちなみに、自分は現在、メコン川流域を研究対象としている。また、タイ・バンコクのアジア工科大学修士課程のベトナム人学生のアドバイザー(external expert)を務めさせて頂いているが、これらの地域は、ボストンから見て経度的に地球の反対側になる。
(昨年調査に行ったべトラム・Dak Lak県Buon Ma Thuot:
北緯12.63, 東経108.05; 
アジア工科大学: 北緯14.08, 東経100.61)


AITの学生とは、一緒にベトナムでの合同調査をしたりしているが、基本的にはメールで遠隔指導(?)をしているので、もはや東京であろうと、ボストンであろうと距離は関係ない。
ただ、最後の論文発表会には参加するかどうか迷っており、ボストンからバンコクへ行く経路を検索しているが、ボストンからだと東京経由よりも、むしろヨーロッパ経由の方がバンコクへ行くには近いみたいだ。



と、話はずれてしまったが、ボストンと自分の研究対象地とはそんな位置関係です。

卒業論文発表会

先日、教養学部の「環境科学&技術系」の卒論発表会があった。
ハーバードの学部は唯一、教養学部しかないのだが、卒論発表は学生が選定した専門分野ごとに行われるみたいだ※1)

マイ・ボス、Peter Rogersは今年度、二人の卒論生を指導していた。
そのうちの一人、ネパール出身のアンジャリのテーマは、①これまでのブラジルの都市開発が河川水質に与えた影響をGISを使って集水域ごとに分析し、土地被覆の変化が水質の変化にどの程度影響したのかを定量的に明らかにする。そして、②その結果をもとに、土地被覆の変化による水質変化の予測式を作成して、将来の都市開発計画に役立つような意思決定ツールを作る、という流れであった。自分も最後の方で、少しだけお手伝いをさせてもらった。
具体的には、ArcGIS Modelbuilderを使って、最後の分析ツールを作成したのだが、すこぶる優秀な彼女は、少しのアドバイスをもとに、基本的には自分でガリガリ進めていった。彼女は、これまでにGISのクラスを受講していたのでGISの基本スキルは十分なものであり、飲み込みも早かった。

と、まあ自分は大したことはやっていないが、アンジャリの勇姿を見るべく、卒論発表会に参加した。


今年の「環境科学&技術系(ES100)」卒論発表会では、2日間にわたり、14名の学部生が発表を行った。
一人あたりの持ち時間は、30分(プレゼン20分+質疑応答10分)。常に、担当指導教員+3名程度の教授・准教授が発表を聞いて、質問・コメントをするというスタイルであった。

卒論発表で、一人30分とはとても贅沢だと思う。しかも、常に4人の先生が聞いているなんて。
これは教員一人あたりの学生数が少ないハーバードだから可能なのであろうか※2)
(ちなみに、横国・建築の卒論発表は7分(5分+2分)←いくらなんでも少なすぎでは?修論発表は15分程度)


ほんの数人の発表しか見ていないので、何とも言うことは難しいのだが、その数人の発表をもとに判断すると、卒論研究の広さと深さという面では「自分が今までに日本で見てきた卒論発表と大体同じ程度のレベル」だと思う。


ただ、日本の場合(特に理工系は)、研究室単位で先輩や仲間と一緒に助け合いながら卒論を進めていくことが多いと思うが(少なくとも自分が関わってきた研究室はそうであった)、どうもこちらの卒論生は基本的には「個人」として研究を進めている雰囲気がする。研究室単位で、仲間と一緒に深く研究を進めていくスタイルと、個人で黙々と進め行くスタイルとの違いは大きいと思う。

そして、ハーバードの学部生は(基本的には)教養学部に所属しているため、専門性を高めることに力を注ぐ理学部や工学部などの学生とは、一概に比較はできなさそうだ。事実、学部生の授業選択の幅はとても広く、かつ各授業は深い内容のものが多く、卒論以外のことにかなりの時間・労力を費やしているようにも思われる。


上の感想は、現時点での主観的なものであり、まだまだ学部生の実態は分かっていないため、追跡調査が必要である。そもそも日本の卒論との比較は難しく、あまり意味はないかもしれないが、一応の感想として記すこととした。
(というか、日本の大学の卒論って、レベルが高いのでは?と個人的には考えている。もちろん、自分も含め玉石混淆だけど!?)


※1 毎年、〇〇(確認の上、後日更新)の学部生が工学・応用科学科(SEAS)で卒業論文を書く。
※2 工学・応用科学科(SEAS)の教員一人当たりの学生数は5人。
(Harvard SEAS: A brief guide for prospective undergraduate students, their parents, and the just plain curious(2008)より)

≪写真・上≫ Peter vs. アンジャリ

≪写真・下≫ 頑張れアンジャリ!


2008年4月15日火曜日

4月の「趣味:GIS」

469 Bloggers

2008年4月11日金曜日

初講義 ~ After:自己評価

昨日、講義が終わった。

我ながらよく頑張ったと思う、この数週間。
90分の授業のために、ここまで時間を割いたことはこれまで無いし、きっと今後もないだろう。やはり、英語での専門外の講義ということで、今回は80分の原稿を事前に用意した。そして、その原稿をもとに、事前に6回も練習した(80分×6回!)。
自分は、行き当たりばったりの出たとこ勝負の人間なので、ここまで周到に用意したのは人生でも初めてだと思う。「やればできるじゃん!」って今更ながら、感心してみたり。


実際の講義は、、、、、

とりあえず、最大限の準備をして、今の自分の能力でできる限りの講義をすることができたと思う。もちろん、完璧な講義にはまだまだ遠く、改善すべき点は多数あるが、現時点の『自分の力を最大限に発揮できたか』という点では、85点という自己評価(ええ、自分に甘い人間です)。とにかく、ベストは尽くせた。

実際、ピーターやティーチング・アシスタントからは良い評価をもらえたし、熱心に聞いてくれる学生も結構いた。一応、講義終了後、2回も拍手してくれたし!?


今回、講義の用意をする上で、改めて「プレゼンテーション」について考えてみた。
特に講義の2日前までは、やはり自分の低い英語力がネックになり、「これは正しい表現なのか?そもそも、この説明で意味が伝わるのか?」」「スピーチ速度が遅すぎるんじゃないか?」「もしかして、ハーバードの学生には簡単すぎる?」などなど結構ナーバスに陥った。


しかし、これまでに自分が見てきたプレゼン、スピーチを思い返してみながら、「“伝わる”プレゼン、スピーチってどんなんだろう?」と再考する中で、以下の結論に至った。
 伝わるプレゼン・スピーチ = 伝達スキル × 内容 × 気持ち 

これまでの自己分析では、
 ・どんなにプレゼンが下手でも、聞き手にとって興味がある内容であれば、聞き手は必死に身を乗り出して、意味を汲み取る努力をする
 ・シドロモドロのぎこちないスピーチでも、深い気持ちが込められていれば、聴衆の関心を一堂に集め、感動へ導く
 ・逆に、どんなに滑らかで上手なスピーチであっても、聞き手にとって関心のない話題であったり、薄っぺらい内容であったり、スピーカーの気持ちが込められたものでなければ、聞き手の耳を通り抜けるだけ


そこで、自分の講義の準備具合をこの項目に分けて整理すると、

「伝達スキル」――ダントツの不安要素:英語
 もはや一朝一夕で何とかなるものではなく、諦めるしかない。
 その分、パワーポイントの作成に力を注いだ。リモセン画像によるビジュアルなスライドを多様するとともに、アニメーションを駆使して、ところどころに英語のキャプションを入れたり、自分の英語を補うための工夫をした。


「内容」――できる限り最良の講義資料を事前に用意できた。
 NASARESTEC東京大学・竹内渉先生のWebサイトを参考にさせて頂くとともに、長年お世話になっているリモセン会社のIさんにPPT資料を提供していただいたお陰で、最新データに基づく、リモセンに関する一連の話題(プラットフォーム変遷の歴史、リモセンの基礎理論(スペクトル)、センサー技術、近年のトレンド、今後の展開)を、90分に効率よく凝縮することができた(と思う)。


「気持ち」――残り数日でできることといえば、もはや講義を行う上での「伝える気持ち」を高めることしかないし、何よりもこれが一番大事だと思う。
中島美嘉の言葉に、「歌にはまったく自信がありません。でも心を込めて歌うことには自信があります」というものがあるという。この言葉を借りるなら、「英語にはまったく自信がありません。でも心を込めて講義することなら僕にもできます

直前の数日は、モチベーションを高めることに注力した。具体的には、自分が用意した講義資料を見直しながら、「講義内容はとても良いものだから、下手な英語であっても、興味を持って熱心に聞いてくれるに違いない」、「自分が本気で面白いと思っていて、それを熱意をもって表現すれば、かなならず伝わる」と自画自賛しながら、モチベーションを高めていった(アホ?)。


自分の低い英語力を補うための自己擁護策と言えばそうなのだが、それまでに最大限の努力をしたという自負があるならば、もはや最後は“開き直り”の精神が大事であろう。


もちろん、「伝達スキル」を磨くことは必須だし、これからも英語力を高める努力を怠るべきではない。今回は単発講義であったから大目に見てもらえたが、さすがに半年分の講義であれば、“気持ち”勝負の拙い英語では到底許してもらえないだろう。
でも今回の経験を通して、最後はやはり「伝いたい気持ち(気合!?)」が大事なのだと、自分の中で再認識できた。


まあ、何はともあれ、こちらでの初講義が無事に終了して、一安心!

、、、と思いきや、この数日間、ため込んでいた仕事が山積している!!来週は出張なので、息をつく暇はほとんどないが、ひとまず大きな山を越えることができて、ほっとしました。


≪写真・上≫ Peterによる紹介。

≪写真・中≫ 講義の最中。


≪写真・下≫ 普段は飲まないが、講義や長めの発表の時は、「モチベーション起爆剤(?)」として、コーラやオロナミンCを手元に置く(昔は、酒のボトルを片手に講義をする教授もいたというが、その気持ちも分からなくはない)。日本だと、教える側として授業中のコーラ飲みはやり辛かったが、こちらだと全然やりやすそうだ。

2008年4月8日火曜日

初講義 ~ Before その2

ハーバード大での2つの講義を受講して2カ月が過ぎた。授業中、「ハーバードの学生はどんなもんじゃ?」と学生観察をしているが、その印象の一つが、「授業中の質問の数が多い」。

もう一つ、自分が気になる点として、「日本と比べて、受講態度が悪い学生が多い」ように思われる。
もちろん、大部分の学生は行儀よくちゃんと受講している(ように見える)訳で、受講態度が悪く見えるのは一部であるが、それが結構目立つ。

具体的には、飲食、PC/携帯電話でのネット/メール、足組み、授業中の教室内外への激しい出入りである。もちろん、日本の学生も似たようなことをやっていると思うが(自分もやってた)、それでもはやり、先生や周囲を気遣って、〝密かに”こっそりとやっている気がする。

今回、自分が授業をするにあたって、「まあ、こちらの学生の態度はこんなもんだ」と分かっているから、それほど気にならないが、それを知らずに授業に臨んだら結構凹みそうだ。


今回、自分が担当するPeterの授業で、気になる学生がいる。
名前は知らないが、勝手にエリックと名付けよう。エリックは、少しイキがったスポーツマン・タイプの青年で、アメリカの青春ドラマに出てきそうな感じである。

エリックは、いつも最前列に座り、大きな足組みをしながら、(超エラそうな感じで)横柄に椅子にのけ反り、授業中はいつもラップトップPCを開いて、ひたすらメールを書いたり、ネットを閲覧している。この前は、授業中にも関わらず、最前列でハンバーガーを食べながらメールをしていた(この授業は11:30-13:00で、次の授業は13:00~なので、仕方がない面もある)。

「こいつ、めっちゃ態度悪いな」と思いながら、毎度の授業中、観察しているのだが、実はこのエリック、この授業で一番質問をする。しかも、的をついた鋭い質問ばかりである(含む、推測)。彼は、数式を瞬時に理解し、表やグラフに出てくる数字をきちんと読んだ上で、質問をしている。さらには、ときおりPeterがかますジョークにも、敏感に反応する。

エリックは、一見、授業そっちのけでメールやネットに没頭しているようであるが、同時に、授業もきちんと吸収しているのである。彼の能力は羨ましいくらいに高く、すごい集中力で二つのことをこなしているようだ。なんだかんだ言っても、彼の講義出席率は高く、毎回最前列の中央寄りの席に座って聴講している(きっと、エリックみたいな人がウォール街でガンガン稼ぐのだろうと勝手に思いを耽らせてみたり)。


今回、自分が授業をするにあたっては、エリックのような学生達を相手にするわけで、それになりにナーバスだ。自分の専門分野であれば、それほど怖くはないが、そこから離れた分野で、英語で鋭い質問を浴びせられると、適切に回答できる自信はない。

ここ数日、「ん~、どんな質問をされるのだろう?」と考えながら講義資料を作っているが、自分の能力と時間の限界もあるので、考え方を転換することにした。学生の質問にビビるのではなく、逆に、こっちが質問をしかけて学生の能力を試してやろう、と。

具体的には、授業のしょっぱなに、「リモセンについて、知っていることを答えよ!」と逆にこっちから質問することにした。こちらとしても、相当な時間をかけて講義の準備しているわけで、何かのお持ち帰りをしなければ意義は少ない。

所詮、相手は学部生だし、せっかくなので、「ハーバードの学生の実力を見せてもらう」ことを楽しみに、授業に臨もうじゃないか!
(とはいっても、相手はスーパー・エリートの卵たち!逆に自分がボコボコにされて、血祭にあげられる可能性の方が高い。。。まあ、それもそれで良い思い出かぁ)

2008年4月4日金曜日

初講義 ~ Before その1

先日、突然Peterから、「俺の授業で、一回分の講義を担当しない?内容は、リモートセンシングで。」と言われた。

もちろん、一応、自分もリモセンの末端ユーザではあり、表面的なことは知っているが、人に教えるレベルではない。しかも、英語でなんて。。。
例えるなら、うどん職人が、突然イタリア料理の講習会を担当するようなもの(?)。空間情報科学というくくりでは、GISとリモセンは同じカテゴリーに入るが、やはり歴史も基礎理論も基盤技術も大きく違う。うどんもイタリア料理も“食”という意味では同じカテゴリーだが、食材も調理法も大きく異なる。

しかし、異文化の料理を勉強することは、料理人としての総合的な腕を上げる絶好の機会(のはず)。リモセンを基礎から勉強しなすことは、創作的GIS研究(?)を進める上で、プラスにならない訳はない。二つ返事で「はい、やります」と言えたらカッコ良かったが、「ちょっと考えさせて」と言って20分後位に、「や、やります!」とPeterに伝えた。


Peterは、『Environmental Science and Technology』という、教養学部(ハーバードには学部は一つ)の講義も担当している。主に理工系を専攻とする2・3年生が対象で、エネルギー・資源問題から、水や大気の環境汚染、気候変動・温暖化に至るまで、環境科学や環境技術の全般的な内容を網羅する。
その一つが、「衛星による地球環境の観測」(Tools for Monitoring the Environmental Processes of Earth: Satellites)であり、それを自分が担当することになった。


今回、授業の担当を躊躇した理由として、「内容が自分の専門とやや離れる」という点が大きいが、同時に、「授業のシステムが日本と異なる」ことも挙げられる。

はじめに、扱う内容は非常に広範であるが、一つ一つの講義の内容は深く、基礎理論から技術の発展、現在の最先端までを、その背景となった歴史的な流れも含めて、90分という枠を最大限に使って説明する必要がある。従って、表面的な〝リモセン技術とその応用の紹介”では許されない(当然か)。

そして、大きく異なるのは、教える側と学生との関係
非常に荒く分類すると、日本の授業は「一方通行型」、こちらは「対話型」が主流であると思う。

日本だと、講義中に学生から質問を受けることはほとんどないと思う。基本的には、講義とは先生の話を聞くものであり、質問を受けるとしたら、「質問はありますか?」と問いかけた場合や、授業の後に個人的に質問を受ける場合がほとんどだろう。少なくとも自分の経験からはそう言える。
しかし、現在ハーバードで2つの講義を受講しているが、それを見る限り、こちらでは授業中の学生の質問がやたらと多い。鋭い質問が飛び出すことも多いが、中には本質的でない質問や個人的な質問をして授業の流れを中断する学生もいなくはない。

従って、どうしようもない質問から高度な質問まで、いつどんな質問が飛び出してくるのか全く予測不可能であるが、教える側には、授業内容は当然のこと、関連事項にはすべて回答できるよう、周到な準備と柔軟な対応が求められる。分野よる違いもあるだろうが、やはり日々状況が変わる環境問題を対象とした講義では、常に最新かつ正確な情報を仕入れていないと学生の質問には適切に対応できない。

やはり日本のように「授業中、学生からの質問を受けないことが前提の授業」と、こちらのような「授業中、学生からどんな質問が飛んでくるかが分からない授業」に臨むのでは、教える方の心構えは全く異なる。実際、〝学生が質問をしまくる”という環境が、教える側に緊張感を与えており、それがより質の高い授業へつながっている気がする。

しかし、その分、先生方は相当大変そうである。Peterはかなりのベテラン教授であり、同じ授業を長年こなしているはずだが、週末もオフィスへやってきて、常に授業内容を最新のものへ更新している。


それにしても、まだまだ英語が相当怪しいこの自分に、(たとえ一コマとは言え)講義を担当させるPeterは、かなりの大物である(きっと)。


≪写真・上≫ 川崎のオフィス。こんなところで研究してます。
≪写真・下≫ Pierce Hallの階段部分。手摺が低くて、ぼーっとしてると落ちそうで怖い。