ハーバード大の日本人教員(Faculty)は極めて少ない。
特に、医薬系や日本研究のグループを除くと、片手で数える程度かもしれない。
その一人のA氏とは、アイスパーティで知り合った研究者を介して知り合いになり、その後親しくさせて頂いている。A氏は、自分とほぼ同じ年齢の女性であるが、約3年前からハーバードのアシスタント・プロフェッサーを務めている。30そこそこで、ハーバードのアシスタント・プロフェッサーに就任するのは、並大抵のことではない。
A氏のプロフィールを見ると、これまでの足取りは極めて輝かしい。
学生のころから「Nature」、「Science」、その他、世界トップレベルの科学雑誌に論文が掲載され、米国内外の名門大学・研究所を渡り歩いてきた。自然科学系の研究者としては最高の経歴と言えよう。
しかし、そんな実績を鼻にかけることは決してなく、普段のA氏はとても謙虚で自然体。研究だけでなく、音楽やスポーツを楽しんだりと、普段の生活もバランスがとれている雰囲気だ。
「こういうお方が、若くしてハーバードのFacultyになるのね」と、“格”(育ち?)の違いを感じずにはいられない。
A氏とは、以前からいろいろな場面でお話をしてきたが、本日、久しぶりに長く話をする機会があった。いろいろな話を聞かせてもらう中で、「ハーバードで若くしてFacultyを務めるA氏は、やはり尋常ではない努力をしてきている」、その一端を垣間見れた気がする。
もちろん、本人の資質や育った環境の影響も大きく、本人も自分は運がいいと言ってた。そして、その多くは、本人にとっては努力と感じていないことなども沢山含まれており、決して自分の努力をアピールしていた訳ではない。しかし、聞いている自分にとっては、「そこまでやっているんだ…。」と目から鱗が落ちることが多かった。自分のような凡人に比べると、これまでの人生で並々ならぬ努力をしている、そう感じずにはいられなかった。
一見、順風満帆な人生を送っているように思われるが、多くの困難を乗り越えて、様々なことに挑戦し続けながら、ここまで辿りついているのである。もちろん、自分一人の力ではなく、家族や恩師など周囲の支えによって、今の自分があることを強く認識している。その上、今でも昔の恩師とのつながりを大事にし、継続的に連絡を取り合っている点は、頭が下がる。
A氏の話を聞くなかで、「自分ってぬるいなぁ!」。
何度もそう思った。
自分は今まで、最大限の努力を払ってきたか?それは、質・量ともに「とてつもない」ものであったか?頭で考えるだけではなく、本気でアクションを起こしてきたか?お世話になった方々への感謝の気持ちを持ち続け、それを継続的に伝えているか?
先日、自分がボストンにやってきてからの7か月間に対して、簡易自己評価を行った。渡米後のノートに書かれた目標に対して、どの程度達成できたのかと(ええ、ただの自己満足です)。
結果、70点。
「まだまだ不十分だけれど、できる範囲でそれなりに頑張ってきたよね」。
(“プールで毎回2km泳ぐ!”とか、本業以外の達成率は高かった(笑))
しかし、今日のA氏との話を考慮して自己評価し直すと、
30点程度の評価であろう。
「もっと本気で時間を割けば、より目標へ近づけたでは?
考えるだけで、実際の行動に至っていないのでは?
気持ちは、言わないと伝わらないでしょ?」。
世界最高峰のジャーナルに多数の論文を掲載するA氏でも、論文の投稿過程で苦労することもあり、リジェクトされたり、批判や反論も多く、それなりの苦労を重ねているということを聞いて、少し安心した(笑)。
『(論文のレフェリーや周りの研究者は)あなたの研究に強い関心があるからこそ、叩きに来る。興味のない研究には見向きもしない。』
『何をやっても反論されるんだから、自分が本当に信じれることをだけを論文に書くようにしている。そうでないと、批判・反論に耐えられない』
A氏から出てくる言葉は、極めて自然体で、気負いなどは感じないが、自然科学分野の最先端で戦い続ける研究者としての“芯の強さ”をその節々で感じることができた。
本当に、沢山のシゲキ(エネルギー)をいただいた。
ここ1ヶ月半、自分自身ことでモヤモヤし、少し低迷気味だったが、
A氏との会話を突破口にして、再び、そして今まで以上に走り出そう。
嘆くのは、“とてつもない”努力をした後に。
多少の努力で、「できない」「ダメかも」などとは口しない。
当分の座右の銘にして。
↓ たまには痛いくらいのシゲキも必要です。