2009年11月29日日曜日

1年半の感想

皆様のご支援とご協力のお陰さまで、
1年半の在外研究にて、多くのことを得ることができました。
さっとですが、少しまとめました。

≪得られたこと≫

■ 人脈が増えた
・日本ではあまり出会うことがない日本人人脈
 (国内他大学の、他分野の研究者やお医者さん)
・日本ではあまり出会うことがない外国人人脈
 (米国はもちろんのこと、欧州、南米、アフリカ)

■ 研究の幅が広がった  
・世界各地を研究対象とした、多様な学問分野の講演会が
 連日開催されており、短時間で効率的に
 多くのことを学べた(気がする)。
・経済系(マクロ、ミクロ、環境経済)の講義を受講できた
 (まだ身についていないが…)
・自分のお世話になった教授の研究領域はとても広く、そのお陰で、自分の知見が広くなった(気候変動、環境経済、中東の水問題、大気汚染、、こちらも未だあまり身についていないが…)

■ 積極性を学んだ
・教える側も、学ぶ側も、積極的に質問することで、お互いが成長できる良い環境を作ることができる。
・立場や年齢、これまでの業績などにとらわれず、自分が挑戦したいことには積極的にトライする。
・くだらない質問などない。分からないことは遠慮せずに質問する。

■ 大学の仕組みを学んだ
・全く異なる大学運営、経営理念。学生サービスを重んじ、学内にはたくさんの楽しい教育・研究支援イベントを用意している(去年の経済危機以降、質・量ともに規模が小さくなったが…)
・どこの大学でも、たとえ教授でも、第一線の大学教員であり続けるには、当然だが絶え間ぬ多大な努力が必要

■ 体力の重要性を再認識
・僕がお世話になった教授(Peter)は、65歳まで週3日、大学プールで泳いでいた。71歳の昨年も、スキーや乗馬を楽しんでいた。72歳の今でも、定期的にテニスをする。そして今年5月、約24時間かけてボストンからラオス・ヴィエンチャンまで飛んでいき、僕と一緒にラオス南部のジャングル地帯でのハードなフィールド調査をこなし、約30時間かけて、ラオス・パクセからボストンまで帰り、翌日すぐに大学にて通常の講義をこなしていた。
・自分が感じる限り、多くの大学教員・研究者・学生が、日本人以上に体力の維持管理を大事にしている気がする。これがハーバード大の高い生産性の根幹を成しているのでは?

■ 年齢は関係ない
・ボストンおよびハーバード大のあるケンブリッジは、米国の中でも若者が多い街であるが(大学の数がとても多い!)、同時に、とてもアクティブな60~80代のご年輩の方々も、大学や街の至るところで活躍している。皆さんとてもお元気で、頭も切れる。感覚もとても若く、最新の科学事情にも精通し、積極的に新しいことに挑戦している人も多い。
 もちろん、日本にも元気なご年輩は沢山いるが、若い感覚で、いろいろなことに挑戦しているような方に会う機会は少ない。ボストンにてそのような方々にお会いする中で、年齢という枠にとらわれる必要がないことを再認識できた。「もう歳だし、、、」って、年齢を言い訳にしない。



≪十分に得られなかったこと≫
■ 英語
・思ってた以上に伸びなかった(苦笑)。ただ、これから自分の英語の、何をどう補強・修正していくべきかが分かったので、これから3~5年かけて自分の英語力を付けていきたい。

■ 研究成果
・自分の中で新しい分野の研究に挑戦したこともあるが、結局、1本しか論文を書けなかった。しかも2回立て続けにリジェクト…。しかし、自分の分野での一番大きな雑誌に初めて投稿することができたし(あっさりリジェクトですが)、今まで自分がトライしたこともなかった新しい研究手法を学ぶなど、今後、幅広く研究を行うための基盤強化につながった。とりあえず、ハーバードの学内研究的研究資金を獲得できたりしたので、それなりの成果があったと言える。

■ 現地の時間を楽しむこと
・ほとんど、キャンパスと自宅との往復に終始してしまった。もちろん、それなりには遊びに出かけたけど、もっとボストンや近郊の街々を楽しむべきだった(ボストン美術館にすら行かなかった…)。
・自分の時間管理術が十分ではなく、無駄が多く、効率的に過ごせなかった日々もあった。自分のオフィスがあったハーバードの研究棟では、基本的に、平日の17時以降、そして土日は終始閑散としている。しかし、自分は平日も夜遅くまで研究室に居残り、土日も頻繁に出勤していた。米国にいながら、日本的(?)ライフスタイルを突き通したことは大きな過ちであったが、一方で、英語での研究や講義の用意という語学的なハンデ(自分の能力不足)を補うためには、仕方がなかったとも言える。もっと、時間管理能力および仕事処理能力を高めらえるよう、より一層の努力に励んでいかなければ(こんなこと言っていると一生、仕事の呪縛から逃れられない気もする…)。


これから当分は、東京・目黒区駒場および渋谷区表参道にて、
研究活動を続けていきます。
今後とも、ご支援、ご協力を頂けますよう、
どうぞよろしくお願いいたします。

無事、在外研究を終え、帰国しました。

とは言っても、つい最近、帰国したわけではなく、
実は夏に東京へ戻ってきました。
お陰さまで、無事に1年半のハーバード大学での
在外研究を終えました。

5か月以上も、本ブログを更新しなかったのは、
恥ずかしながら、単に自分の怠惰のせいです。
数人の方から、「ブログ更新していないけど、大丈夫?」などの
連絡をいただきました。ご心配をおかけして、申し訳ないです。
僕はすこぶる元気です。

ブログの一記事を書く程度、ほんの数十分でできる筈ですが、
気持ちに余裕がなく、恥ずかしながらついつい先延ばしになりました。。。

あぁ…。

2009年6月15日月曜日

現地調査

2週間前、ラオス・カンボジアの現地調査から戻った。

旅行中、「一言でもいいから、できる限り毎日ブログに記録を残そう!」と心に誓うが、
たった二日で断念。。。ボストンに戻った後も、
日々の忙しさに追いやられ、更新が完全にストップ。
あぁ、、情けない…。


ラオス・カンボジアでは、現地の中央省庁や地方自治体、
メコン川委員会、世界銀行やアジア開発銀行など、
メコン川管理にかかわる多くの機関を効率よく、訪問することができた。

やはり現場で活躍する人の話を聞いたり、
実際に現地に足を踏み入れることで、
得られる情報はものすごい。

(以前から)インターネットで検索可能な情報でさえも、
現地に行ってヒントを得なければ、
そこにたどり着けないこともある。


以下のラオスとカンボジアのGISアトラスのWebsiteも、
ふと入ったヴィエンチャンとプノンペンの本屋で、
これらの書籍を見つけたのがきっかけ。


Socio-economic Atlas of the Lao PDR
 http://www.nsc.gov.la/Atlas/Index.html

The Atlas of Cambodia - National Poverty and Environment Maps
 http://www.cambodiaatlas.com


後発開発途上国(LDCs: Least Developed Countries)に分類される、
ラオス・カンボジアでも、先進国の支援のもと、
この数年で、超良質のGISデータが国中で整備されている。
2年前、同じくLDCsであるバングラデシュを訪れた際も、
GISデータの整備には目を見張るものがあった。


これから、今まで以上に、
“GISデータの活用”が問われる時代に突入していく。
GISを活用することで、それ以前と比べて、
何が、どう変わるのか、を明確に示していかなければ。

2009年5月17日日曜日

ラオス・ヴィエンチャン

現地時間の夜9時前に、ラオス・ヴィエンチャンに到着。
気温31℃。飛行機を降り立った瞬間、いきなり蒸し暑い。

ラオスは2007年11月以来、2回目。
ヴィエンチャンの中心街にある、前回と同じホテルに宿泊。

中心街といっても、自分の故郷・宮崎県日南市(人口4.5万)の
中心街(油津)より小さい感じで、
一国の首都かつ最大の都市とは思えないほど、何もない。
素朴で、昭和20年代の日本の街みたいなイメージだ
(その時代、生きてないけど…)。

世界中どこに行っても、似たような近代都市が乱立するこの時代、
この何もない、未開発の素朴さが、ラオスの最大の魅力でもある。



さて、タイ・バンコクのスワンナプーム空港にて、
ラオス航空に乗り換える際、一旦タイへの入国手続きをとった。

入国審査ゲートで並んでいる際、日本からの飛行機が到着したらしく、
日本人のグループが大勢で審査ゲートへやってきた。

その時、日本旅行者の7割程度が、白いマスクをしていて、
とても驚いた!
「日本でのインフル報道は凄いことになっている!」とは聞いていたが、
バンコク空港にて、それを目の当たりにするとは。


ボストン空港、ロンドン・ヒースロー空港では
一人もマスクはしていなかった。
もちろん、自分が搭乗した飛行機にも、マスク着用者はいなかったが、
搭乗者の半分がマスクをしている飛行機に乗ることを考えると、
それだけで気分が悪くなりそう(苦笑)。

もちろん、最大限の予防策をとるにこしたことはないと思いますが、、。


自分が見る限り、各空港での対応は以下の通り。
米国や欧州のほうが深刻な筈なのに、
彼らは対応を怠っているのか?、それとも、
アジア各国が神経質なのか??
(まあ、タイ・ラオスは、「一応、対策しています!」と
 パフォーマンスしているようにも見えた(笑))

■ アメリカ・ボストン空港: 
 問診票記入なし、検疫なし、マスク着用者なし

■ ロンドン・ヒースロー空港: 
 問診票記入なし、検疫なし、マスク着用者なし

■ バンコク・スワンナプーム空港: 
 問診票記入あり、体温測定機+医療関係者が待機、マスク着用者大勢(主に日本人+その他アジア人)

■ ラオス・ビエンチャン空港:
 問診票記入あり、医療関係者が待機、マスク着用者なし



雨季のメコンで調査を行う自分は、
新型インフルより、マラリアの方が怖く、
早速今日より、ワクチン服用なのです。

2009年5月16日土曜日

メコンへ

明日から2週間、ラオス・カンボジアへ。

昨年、ボストンからタイ・バンコクへ行った際は、
シカゴ・東京経由で、
乗り継ぎ時間を含めて30時間以上かかった。
(⇒2007年5月2日 アジア工科大学

今回のロンドン経由だと、バンコクまでを3~4時間短縮できる見込み。
そしてバンコクでラオス航空に乗り換えて、ラオスの首都ビエンチャンへ。


今回は、Peter(教授)と一緒なので、
出張スケジュールを組む際、バンコクで一泊することを提案した。

Peterはとてもタフで、頻繁に海外出張にも行っているが、
4月に72歳になった彼にとって、
ラオスまでの片道24時間のフライト+8時間の乗継待ち合わせは、
さすがにシンドイだろう心配した。

しかし彼は、ためらいもなく、
「時間とお金(ホテル代)がもったいない!
その日に飛行機があるなら、さっさとラオスへ行こう!」
と即答。

自分の中の72歳像が大きく変わる。
ちなみに、彼は65歳まで、
毎日週3回プールで泳いでいたという。


彼より半分以上若いのに、
長距離フライトをためらう自分を反省。

2009年4月5日日曜日

社交会入門!?

週末、友人が所属する大学ジャズバンドの演奏会に参加した。
「Spring Swing & Dance Night Concert」と題されたこの会は、
生バンドの演奏の中、皆で夜中までSwingを踊るためのイベントである。

会場は、Dudley Houseという大学内の学生寮。
寮とは言っても、大きなダイニングホールなどがあり、
日本の学生寮とは大分雰囲気が違う。

まあ、そうは言っても、大学内での開催だし、何も考えず気楽に、
普段通りのカジュアルな格好をしていった。

ところが、、、、

会場には、ドレスアップした男性・女性が溢れていた!
普段は思いっきりラフな格好をしている学生も、
男はスーツやタキシードをまとい(蝶ネクタイもいた)、
女性は大人びた(!?)ドレスを着ている。

もちろん、自分みたいにカジュアルな参加者もいたけど、
全体の6割、7割はドレスアップしていたのではないか?


そして、いざダンスタイムが始まったら、
これまた、Swing、その他もろもろをカッコ良く踊る輩が
ゴロゴロ溢れていた。
しかも、夜が更けるにふれ、ダンスフロアが込み合っていく。
中には、「セミ・プロですか?」と聞きたくなるほど、
華麗に踊るカップル(含む、男同志)が沢山いた。

会場はまさに、
アメリカ青春映画の一幕を垣間見る様であった。


もちろん、一部ではあろうが、大学生のころから
こんな世界に慣れ親しむ米国(ハーバード?)学生には、
社交性の面で敵うわけはない。


まあ、そうはいっても、自分は思いっきりカジュアルな格好で、
みんなにまみれて、ハチャメチャSwingを踊ってきた。
カッコ良くダンスを決めるのは、まだまだまだだが、
とても楽しい時間を過ごせて、いい経験になった。


米国で、ダンスパーティに参加する際は、
ドレスアップしていきましょう!



ワルツとタンゴが得意な自分の教授(英国出身)は、
↓を3~4回見たとのこと。

2009年4月3日金曜日

3度目の正直(講義)

3月31日、今学期3回目(通算4回目)、そして、
こちらで最後になるかもしれない講義をさせてもらった。
「Environmental Science andTechnology」という、
環境科学&工学専攻の学部生のコア授業にて、
「リモートセンシングの基礎」を講義。

実はこの内容は、去年4月の同講義(⇒ リンク)、
今年2月の別講義(⇒ リンク)とほぼ同じである。
すなわち、この内容を話すのは3回目。

ただ、これまでは15人~20人程度の小さなクラスであったが、
今回は75人の大クラス。
しかも、この講義の担当教授は、授業の内容や進行にとても気を配っており、
学生にも人気の教授(クラス)だ。実際、彼のクラスはとてもダイナミックで、
学生とコミュニケーションをとりながら、講義を進めている感じである。


これまでの自分が担当させてもらった講義は、
先方から依頼を受けての講義だったため、結構気楽だった。

しかし、今回は無謀にもその教授に、「自分に講義をさせほしい!」と
こちらからアピールし、一回分を担当させてもらうことに至ったため、
自分が下手な講義をして、教授の評価を下げる訳にもいかず、
トルコ出張中も時間を見つけては講義の用意をしていた。

トルコから戻って来てからも、講義の練習の日々であったが、
その最中、何度も学部生75人+その教授のことを思い出しては、
「いっそのこと逃げ出したい!」と日々考えていた。

「そんなんだったら、最初から志願するな!」という感じであるが、
自分が教授にお願いした学期初めの1月頃は、
受講生がそんなに多いことは予想できなかったし、
また、その教授が教育にそこまで情熱を傾けているとは
知る由もなかった…。


今回は3回目の講義だが、
パワーポイントのテキスト・図表、言葉の一言一句、
全てに対して、「これでもか!」という位、
気を使って周到に修正を重ね、何度も何度も練習した。

練習のたびに、自分の英語発音・リズムの悪さに思いっきり凹み、
そのうち講義資料に対しても不安になって行き、
(大げさだが)どん底まで落ち込んでは、
「めげてる時間など無い」と立ち上がり、また練習、そして凹む、
の繰り返しで若干辛かった。


実際、去年の初講義の時から合計すると、
たった90分の講義のために、
ここまで用意する人はいないだろう?
という位、
時間をかけて用意&練習を重ねた。
(自分の容量の悪さも時間がかかった原因ではあるが…)


そして3/31、本番を迎えた。
春休み明け一発目の講義であったが、
学生はほぼ全員出席していた模様。

そして、なんとか無事に、90分の講義をやり遂げた。


前回の講義(⇒ リンク)の後に掲げた以下の課題も概ねクリアできた
(⇒ 一部、スライドのじか読みをしてしまった…)。

 ・ スライドのじか読みは避ける
 ・ 学生をもっと引き込んで、質問しやすい雰囲気を作って、
   最低でも4つは質問させる



前回と同様、講義の感想を紙に書いてくれるよう、
学生も求めたところ、18人が提出してくれた。
任意(成績にも全く反映されない無記名形式)にもかかわらず、
25%の提出率はまずまずといったところ。


任意なのに、感想を書いて、提出してくれるという時点で、
「ポジティブで、優しい学生」というバイアスがかかっているが、
その意見は驚くほど好意的であった。

その内容は、
“とても楽しい講義だったし、多くのことを学んだ!”と、
really enjoyedやvery intersting, great, wonderfulという
超ポジティブな単語が連発されていた!

その理由として、
“充実かつ有益な情報”が“きれいなスライドを使って”、
“理解しやすく整理されていた”ことが挙げられていた。

しかし、それ以上に、
“質問が随所に散りばめられており”“インタラクティブに”、
“学生たちを講義に巻き込んでいた点”
を評価するコメントが多かった。


「インタラクティブ(双方向性)」は、
「ライブ感のある講義 (⇒リンク)」で書いたように、
多くのハーバードの教授たちが講義で実践していることであり、
今回の講義を担当するにあたり、自分が掲げた目標の一つであった。
特に、この講義の担当教授は、
「いかに、インタラクティブな講義を展開できるか?」を常に追求しているので、
自分もそれを意識せざるを得なかった。


そして、今回の講義で、自分が心がけたことは以下の通り。

■ 講義の随所随所で、学生にクイズ形式の質問をする。
 ⇒ もちろん、ある程度学生が答えられそうなものを質問し、
学生が答えたら、「その答えを待っていたのだよ!」と言わんばかりに対応。

■ 何かのメカニズムを説明する際、
論理的かつ段階的に説明するのは当たり前であるが、
その時に、「Aのためには、Bが必要である。
では、何故、そしてどうやってBを使うのか?
なぜなら、、、、」
と段階ごとに、学生(自分)に問いかけ、そして、
それに対する回答のかたちで、説明を続ける、ことを繰り返した。

すなわち、説明の最中、ひたすら"Why?"、"How?"を連発した。

■ 質問が来たら、学生のところまで近づく。
 ⇒ とても教壇(?)が大きな教室だったので、
近づかないと学生の声がクリアに聞き取れなかったためだが、
それなりに“動き”ができて良かった。

■ あまり達成できなかったが、
(講義をちゃんと聞いていてくれる)学生一人一人の顔を見て、
語りかけるように話す。


当然と言えば、当然のことばかりだが、
これらのことを強く意識して、実行したせいか、
はたまた単なるお世辞なのかもしれないが、
「とてもフレンドリーな講義!」と評価してくれた学生もいた。


さすがに今回は3回目の講義だし、相当な時間をかけて用意してきたので、
自分としては「報われた。。。」感じで嬉しかった。


もちろん、同時に、改善に対する建設的批評もいただいた。

予想通り、「英語が分かりづらい」、「発音・文法をもっと勉強すべき」とのこと。
やはり英語圏で講義をする上で、きちんとした英語を喋れることは必須条件。
これらの意見を真摯に受け止め、今まで以上に英語の上達に務めねばならない。


あと、コメントシートを眺めていて思うのは、
学生一人一人、それぞれ違った味方をしている」ということ。

自分は、日本で講義をしていた時から、
常に学生にコメントシートを書いてもらっているが、
これは常々実感すること。


講義スピードに関しても、「ちょうど良い」という学生もいれば、
「もっと早くても良い」という学生もいる。
興味を持つポイントも、一人一人異なる。
「ここはあまり面白くないかな?」と思ってた箇所が
自分の思惑とは反対に、学生の評判が良かったりもする。


今回の講義では、多くの学生が自分の質問に答えてくれたし、
学生からの質問も沢山受けた。そして、コメント・シートにて、
(一部ではあるが)学生の生の感想を聞くことができた。

こちらに来て4回目、そして、
(そうじゃないことを願うが恐らく)最後の講義で、
やっと学生とつながりを感じる、
インタラクティブな講義を体感できた気がする。


さすがに、一年前の初講義と比べると、我ながら、
説明の仕方・英語の面で大きな進歩を遂げたと思う。
やはり基本は、ステップ・バイ・ステップ。
時間がかけて、ゆっくり進むしかない。


今回の収穫を糧として、
次回講義をさせてもらうときは、
もう少し短時間で用意できるようになりたい。
(じゃないと体が持たない(笑))


この数週間、講義の用意に時間をかけ過ぎたので、
これから、溜まりに溜まった仕事・メールを高速処理せねば。


↓ よ、読みたい。。。